3日目にしてもうクリスマスとは関係のない話題で失礼しやす!(笑)
ただ、本日12月3日は、私の母、春美の62歳のお誕生日なので記念号として生誕祭とします!!
私を知っている方、長年このブログを読んでくれている方は母、春美がどんな母かご存知の方も多いかもしれないけどね。
絶賛冬生まれなのに名付けられたのは「春美」(笑)
冬生まれの春美について今日は書きます!
#3 母、春美生誕祭
まず、経歴を書くとかなーり長くなるほど、人生いろいろタイプの春美。
お嬢様大学の面接では、こんなところ入ってたまるか!という啖呵を切らし、面接でブッチ。
早く実家を出たかった春美は21歳という若さで当時付き合っていた顔で決めた相手と結婚。
それが私の父、優(まさる)くん。180センチオーバーのスタイルの良い、歌うまの彼。
私が生まれ弟が生まれ、階段から転倒し、背骨を折り、入院したのち、いろいろあり、優くんとはやっていけない!と
29歳の時に離婚。当時私が3歳、弟が1歳。
そこからというもの、シングルマザーとして、父親なみに働く春美。
春美の両親は「出戻りなんて許さん!」と言いながらも二人のダダ漏れる愛情に春美、私、弟はどっぷりお世話になり始める。
おじぃちゃんおばぁちゃんと幼少期から過ごせたことが私は最高の思い出で、私の人格形成においてこれほど偉大な二人と毎日を過ごせたことが1番の宝物。
それくらいおじぃちゃんとおばぁちゃんとの生活は最高でした。
とにかく春美は働き、持ち合わせの探究心からキャリアをどんどん積み上げ、いろんな職種を経験。
60歳を過ぎた今でもリーダーを任されその分野で活躍中。
おじぃちゃんとおばぁちゃんが亡くなってからは愛犬チワワのサクラちゃんと自由な暮らし。
趣味はミシンで物作り、韓ドラはライセンス級、お気に入りのペンは替え芯をとにかく周りが引くほど備蓄、美容部員並みに果敢にアンチエイジング一筋。喘息持ちなのに絶対にタバコが辞められない、衣類の整理や旅行のパッキングは絶対やりたくない彼女です。
という感じかな。(笑)
私と母の関係は、一般的な母娘の関係とはだいぶ異なり、姉妹のような友達のような関係だけど、今でもLINEのテレビ電話で涙を流しながら爆笑したり、時には真剣にお互いのキャリアを考えたり、ハマっている俳優さんのシェアとかは逐一報告。
ここからは、生誕祭らしく、懐かしい写真をどんどん載せます。
私が学生時代春美と最高に笑った韓国旅行(アカスリエステ事件は誰に話しても爆笑してもらえる私のすべらない話鉄板)
大学生活中は月に少なくとも1回は二人で休みを合わせて「春美デイ」を作り、ショッピングやお出かけをした。
卒業式。まだ若い春美。
1番好きな家族写真。みーんなちゃんといるね!
ココさんを産む時は里帰り出産したの
数ヶ月後、渡米する私たち
私がアメリカに越してきてからも、次女の出産の時には正社員として働いていた会社を退職してヘルプに来てくれて2ヶ月強ミシガンで過ごしたり
一時帰国ではいろんなところに連れ回しました。
テーマパークや旅行は基本春美、道連れ。
数年前の一時帰国ではジャニーズのライブまで付き合ってもらったことも。
また行こうね(笑)
おじぃちゃんとおばぁちゃんが亡くなってから、インディアナに呼び、ここで2ヶ月過ごしたことも最高の思い出だよね。
まるで留学のようだった春美の日々
一緒に行ったカンクン。
一緒にジャザもできて、私がステージに立つところも見せれてよかった。
みんなで京都に行ったことは記憶に新しいね。
ここの天ぷら最高だったよね。
長々と書きましたが、母春美には到底かなわない私。
私には予想も出来ないような苦労や、自分自身で決断しなくてはいけないことの連続だったこと、シングルマザーとしての社会との関わりなど、大変なこともやってきた春美は本当に強くて、強さが顔に現れてるし!!(笑)
怒られそう(笑)
「なんでも経験だよ」と人生いろいろな彼女に言われたらごもっとも!
おじぃちゃんの口癖「人生死ぬまで勉強」と春美の「なんでも経験だよ」を合わせたら最強なパワーワードなので私の余生のモットーにします。
春美ちゃん、改めてお誕生日おめでとう。
またこちらに来てもらえるといいなー!!
ではまたねー!
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